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倉敷市の山本麗子です。
今回はご馳走は美味しかったけれど、とても「痛かった」私の食の苦い思い出についてお話します。
私が勤務しているのはスーパーマーケットです。
入社時、私は生鮮部門を希望して鮮魚課に配属されましたが、我社では女子正社員では初の生鮮部門の担当となりました。
当初は長続きしないだろうと思われていましたが、二年目の転勤を機に上司に恵まれ、三年目の春には店長の強い推薦で同期の誰よりも早く鮮魚主任に抜擢されました。
私が赴任したところは広島県の南西の海岸線にあるK地区で、従業員30名(うち正社員は管理職1名、主任2名だけ)の小さな店舗でした。鮮魚課は私と2名のパートさん、短時間勤務のアルバイトさん2名だけで運営していました。
鮮魚課は、周囲の期待とは裏腹に与えられた営業目標に結果が追いつかず、大きな欠減、損失を出し続けました。そのなかで課内でのコミュニケーションもうまくいかず、さらには体調不良で包丁も握れなくなるという状態になり、半年後には気力もなくし、働くこともできなくなりました。そして、10月のある日、私は一方的に辞表を店長に押し付けて職場放棄(欠勤)をしてしまいました。
結局5日目に私は店に戻り、職場放棄したことを詫び、もう一度やらせてくださいとパートさん、アルバイトさんにお願いしました。 上司からはかなり怒られましたが、店に復帰することになりました。
しかし、職場放棄してしまったことを会社側としては規則上見過ごすこともできません。その結果、私は、他部門への降格異動が決定しました。そしてK店勤務の最終日、多くの人の期待に応えられなかったことで、先が見えない状態でした。
今後どうしていこうかと考えていたそんなときです。
パートさんから「私がご馳走をつくりますから、鮮魚課みんなと店長といっしょにごはんを食べましょうよ。」と声をかけられました。
そして、テーブルいっぱいに並べられた料理をご馳走になりました。
このパートさんは、たくさん食材を買って徒歩で15分の山道を歩いて自宅まで帰り、時間をかけて料理をつくってくれました。献立を考えるのにも時間がかかった筈です。
そして、私が好きな料理はなんだろうといろいろと考えてくれたに違いありません。
パートさんたちには特に何を言われるということでなく、「食べんさい」と勧められ、もう限界というところまでご馳走になってしまいました。
テーブルいっぱいのご馳走の味は美味しかったけれども、痛かった。料理を通じていろいろな思いが伝わってきて痛かった。
異動の際にたくさんの人にいろいろ言われたことよりも、このご馳走のほうが私には効きました。
”人に恥じるような辞め方だけはしちゃいけん”と心底思いました。
その後、青果課に異動、主任を経て、鮮魚課に復帰、さらに複数の部門に異動、10年が経ちました。
思い出される”痛いご馳走”年月がたつにつれ、一層じわじわ効いてきます。
<食ライフ・クリエイター 山本麗子>
2007.06.11 22:17:31
| 食彩人
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