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いきなり、こんなタイトルですいません。私は大学時代にある体育会系の部に所属していたのですが、早朝練習があるため、週に2日程度、練習場にある合宿所で寝泊りしていました(大部屋に10人程度が寝ていました)。
ある日、ちょっとしたことで親と喧嘩になり、売り言葉に買い言葉で「こんな家、出てやる」といって家出をし、その合宿所で本格的に生活を始めてしまいました。
家出したのは5月5日、子供が親離れをしたのはまさに「子供の日」でした。
とはいえ、先立つものもなく、いつも食べるものに苦労する日々の連続。
多少のバイトはしていましたが、袋一杯のパンの耳(5円)と合宿所で飼っていた鶏が産む卵が貴重なエネルギー源でした。
また、その合宿所には、自分のほかにも「貧乏人」が数人おり、空腹に耐えかねた一同は、表題の行為に及んでしまいました。
泥棒といっても、盗りに行った場所は、大学の付属農場の畑。大学の所有物は学生である我々のモノでもあるという誠に都合の良い解釈により、当然の権利を行使したという次第です。
(かなり後で判明したのですが、実際に収穫した場所は大学の農場ではなく隣の農家の畑でしたので、本当に泥棒をしてしまいました)
その収穫物=大根1本を合宿所に持ち帰り、実(白いところ)はただ茹でて味噌(名古屋なので赤みそ)を付け、葉は油で炒めて塩、コショウ、しょうゆで味付けして、食しました(空腹の若者が数人で食べたので、あっという間になくなりました)。
とても調理とは言い難いものでしたが、とにかく「おいしかった」としか言いようのないものでした(ちなみに私は野菜大嫌い人間です)。
このことは、20年近く経過した今でも、そのときの仲間と会うたびに話題となり、「永遠においしい食べ物」として語られています。
冷静に考えれば、腹が減っていたので、何でもおいしかったのだろう、というだけのことでしょうけど、「おいしい」というのは、案外そういうことなのではないのかなあとも思えるようになってきました。
つまり、その食べ物や料理がどういうものなのか(素材や調理方法など)ということだけでなく、どういう状況(健康状態や精神状態も含めて)、どういう場所、誰と一緒だったかといった環境(雰囲気)も「おいしさ」を感じる大きな要素ではないかということです。
まさにこの大根は、忘れもしない「青春の味」だったわけです。
「おいしいものを食べる」ではなく「おいしく食べる」ということのほうが、いつまでも「おいしい」記憶として残るのではないかという気がします。(⇒文章が下手で上手く表現できなくてすいません。)
※どろぼうが偉そうなことを言って申し訳ありませんが、若気の至りということでお許しください。
<食ライフ・クリエイター 若山 孝男>
2007.04.27 08:03:35
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