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数日前の日刊紙に一面を使って、某女子大学の案内(広告)が出ていました。お金かけてます。
「食育」が大学案内のキーワードで、この大学の学長と食生活ジャーナリストの対談の形式で、話が展開されています。
この大学では23年間の実地活動で食育の現場をリードしているということが大学の特徴と紹介されていました。
この大学では、4?5歳児に「金メダル」を使うという食育活動をしているそうです。
この対談を読んでいて、これって本当に食育なのか?と感じました。
なにか本質がずれているような気がしますが・・・
この「金メダル」活動について、学長はつぎのような説明をされていました。
「たとえば、幼稚園や保育園で、糖質(主食)を黄、たんぱく質(肉・魚類)を赤、野菜類を緑としてそれぞれメダルを用意します。三色ともそろった子には先生から金メダルをかけてもらいます。そうするともらえなかった子は家に帰ってから「明日は金メダルがほしいから〇〇をおかずに加えて」などと話す。これが効くんです。子どもの言うことなら親はしっかり受け止めてくれます、子どもを通して大人も教育していこうというアプローチです」(原文のまま)
ここでいう食育の目的は、栄養のバランス(黄・赤・緑)がいかに大切か考えさせるということのようです。 栄養学やそれに関連する活動が盛んであることをこの大学の特徴として、読者(受験生やその保護者)に訴えたかったのでしょう。
しかし、栄養素のことだけを考えるとどうしてもこういう発想になってしまう。
子どもたちは、メダルが欲しいからお母さんに頼む。 お母さんは子どもの言うことなら聞く。だから大人まで教育している。ちょっと変だと感じませんか?
おまけのシールが欲しいからお菓子を買うのと同じ気がするのですが。 また、親は子どもの言うことなら聞くというのは、(食事について)手抜きばかりしている親ばか・ばか親のような無責任親を教育していると受け取れます。 家庭でしっかり教育していないから、つまり、食育=親の責任というイメージに感じられます。
対談を読んでいると、食事の大切さとは、バランスのとれた食事と規則正しく一日三食とり、そして生活習慣病の予防など健康に心がけることだそうです。そしてそのために食育が必要だそうです。
私たちが口にする食物は、多くの人の手によって生産され運ばれ、時に加工されてきたものです。私たちは食事として調理し盛り付けられ、それらをいただきます。そういったことを知り、あらゆるものに感謝をする。
そしてもっとも大切なのは、みんなで食事をおいしく楽しくいただくことです。
この対談を読んでいても、おいしさや、楽しさ、感謝といったことは全く触れられていません。
たとえハンバーガーが食事でも問題ないと思います。食べ続ければ問題ですが、そのあとの食事をどう食べるかを考えれば、それこそ「金メダル」でもいいのではないですか?
それよりも、今日保育園でみんなと歌を歌ったこと、お遊戯したこと、お友達と遊んだことなどを家族に話し聞いて、笑うことが大切です。
食事のときに笑ったり話したりすることを注意するなどとんでもないことです。もちろん、食事のマナー・ルールをしっかりと教え実践させた上での話しですが。
ですから、まずはそのマナーやルール、特に箸の持ち方や箸のお話、食べ物に対する感謝の気持ちをしっかり持たせることこそ大切なような気がします。
金メダルでこどもを釣って、こどもに何かを食べさせるようなことはそれでいいのでしょうか?
子どもに足りなかった色(黄・赤・緑)があると逆に罪悪感を持たせることにはならないのでしょうか?
それでは食事が食事ではなくなります。
これが食育というのであればもやもやはますます増します。
2007.10.09 08:42:46
| 食彩人
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