口蹄疫が一向に収束の方向に向かいません。10年前に発生した時はすぐに鎮静化したので、今回もそれほど拡大することはないだろうとたかをくくっていた関係者も多かったと思います。
私自身もこれほどまでに広がるとは思わなかったので、知人と北朝鮮の仕業だとか、アメリカがBSE問題や普天間問題の報復だなどと冗談をいっていましたが、当事者の皆さんのことを考えると恥ずかしい気持です。
とうとう種牛にまで被害が及びました。このことは、宮崎の種牛は各地のブランド牛のもとにもなっています。日本の食文化そのものにも大きな影響を与えかねません。
大変深刻な事態として推移を見守っています。一刻も早く終息してほしいものです。
発生した4月20日から5月16日までの川南町役場職員 河野英樹氏の日記が本日5月18日の日経ビジネスWEB版に掲載されていました。
そこから一部をご紹介します。(出典:日経ビジネスオンライン No.984 2010.5.18号)
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(一部抜粋)
■5月4日(火)
殺処分された牛の埋設作業に従事した。その光景は「壮絶」の一言と言っていい。
この現場は、私が見てきた中で一番大きな埋設穴であった。縦が約100メートルで横が約10メートル、深さ4メートルほどもある。その底に石灰をまんべんなく振り撒き、ビニールシートをかける。これで埋却処分の穴が完成する。そこに、殺処分された家畜を次々クレーンで吊るしては並べていく。
何度聞いても慣れないのが、専用車両で運ばれてきた牛の死骸がクレーンの前の通路となっている鉄板に落とされる音だ。1度に十数頭分がトラックの荷台から流れ落ちてくる。その時、「ゴツーン」「ゴツーン」という何とも表現しがたい鈍い音がする。それもそのはず。出荷手前の牛ともなれば、1頭で 1000キログラム近くにもなるのである。もちろん、既に殺処分されている牛なのだが、その音は牛の悲鳴にも聞こえるのだった。
この作業を初めて体験する者は、まずその鈍い音に耳を塞ぎ、牛の大きさに驚く。そして、クレーンでつり上げるために両足を縛る際、嗅ぐことになる生々しい死臭に閉口する。しかし、作業の手を休めるわけにはいかない。すると、数分も経つと、この「非日常的な体験」に慣れてくるのである。
(中略)
今、川南町は「生き地獄」の状態と言っても過言ではない。
役場の駐車場には「災害支援」という表示をつけた陸上自衛隊の物々しい車両が並んでいる。全国から集められた獣医師や、県や町、農業関係団体の職員、陸上自衛隊員らが毎朝、集結する。そして、全身白装束の防護服を身にまとい、殺処分や埋設処分の作業へと向かっていく。こんな光景は、恐らく町民の誰もが見たことのないものだっただろう。
苦悩するこの地域の状況を少しでも多くの人に知ってもらいたい。そして、日本有数の食糧供給拠点と自負する「川南町」の畜産、農業を応援してもらいたい。この切なる思いが少しでも伝われば、うれしく思う。
町長以下、町をあげた現場の対策は、今、この瞬間も続いている。
2010年5月17日
宮崎県川南町役場町民課住民係長 河野英樹
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畜産農家にとっては、手塩にかけて育てた家畜を殺処分するのもくやしいでしょうか、処分の数が半端ではない。それを埋設する場所が無い。しかし、すぐに埋設しないと空気感染するので時間との勝負。不眠不休で非生産的な作業に従事しなければならない。
また、殺処分したということは、原状回復まで数年かかることになります。さまざまな問題をかかえていられることを考えると、本当に心が痛みます。